墓参り

哲史と晶子さんが墓参りに来てくれた。そのこころの優しさに感謝する。二人と私は、寺の住職と談話の機会をもった。寺と門徒が通年の想いを話すいい機会だった。住職は、私の高校の後輩だ。高校卒業後、京都の真宗大谷派の教えを受け継ぐ大谷大学を卒業された。いわば親鸞聖人の教えの正統を受け継ぎ、学んできた僧侶だ。しかも、その寺、等通寺は、浄土真宗中興の祖、蓮如上人ゆかりの寺。私は、そんな寺とご縁があることを喜びとしている。有難いこと、である。

現代は、お寺と門徒(あるいは檀家)との結び付きが様々に変わろうとしている難しい流動期だろうとおもわれる。

つい昨日も、NHK総合で、都市とふるさとの際立ち、進む核家族化、高齢社会の中で、墓の状態の変わりようについて現状をニュースしていた。墓の引き継ぎ手が居なくなっていり、希薄になったりするなかで、ふるさとの墓を「墓じまい」するというケースが増えているという実態。自分が、あるいは子供たちが、亡くなった後、入る墓が日本中で迷走しているのだ。

「息子さんたちが、ふるさとを離れても、お盆のときにこうしてお参りにこられるということは、それでいいのではないでしょうか。」

と、住職はにこやかに微笑まれた。そう、確かに、我が家の墓は、私の息子たちの心にちゃんと留められていると思う。有難いことである。しかし彼らの次の代はどうだろうか………。

そう、宗教の伝わり方が変わってきたのだ。近年、急速に。国際化と情報化の大波の中で。

私は、墓の前でいつも「正信偈」を唱える。

浄土真宗が教える人生の心構えを教え、確める偈文だからだ。私は、今回もお墓の前で哲史らとと共に、正信偈を唱えようとした。が、哲史にはほとんど馴染みのないものであった。私が小さい頃から馴染んできた、その文言が、すでに私の代で、息子には遥かに遠い世界になっていた。私の責任である。

住職によれば、東京では寺と墓、門徒の有り様が変わってきているといわれた。寺はビルと化し、墓は50〜60㎝四方であてがわれているという。しかも、自由には訪ねることが出来なくなっているという。墓の変化は、家族、自分の由縁の認識を大きく変えているのだ。

私は、浄土真宗、つまり親鸞の教えは、宗教にとどまらず、人間の命の哲学を説いたものと、崇敬している。私の根源となっている。

この先の時代、親鸞の教えがいかに生きていくか、いや、これからの人がいかに親鸞のたどり着いた認識を受け止めていくか、とても気になる。f:id:t-pauro:20180815061520j:image