「削る」ことの美しさ

老いる、ということは、「削る」ということではないかと、思い付いた。ずっと、「老い」について考えている。確かに、心身共に、どこか、なぜか滞る。スムーズではない。

  黒井千次著『流砂』を紹介、批評する文芸評論家、井口時男氏、

「老いとは世界や他者との関わりをかくも淡くするものか、と思う。『世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない』というのは夏目漱石の『道草』のま末尾の言葉だった。物事を性急に解決しようとしないのは、老年の知恵だろうか、あきらめだろうか。

  何一つ片付かないまま、ただ時だけが穏やかに流れていく。だが、『流砂』という表題には、そうやって老いと死に向かって流れゆく歳月に身を任せてしあうことへの漠たる不安も暗示されているようだ。」