タクシーの仕事が命を削っている

昨日、69才の誕生日だった。私は逓信病院の廊下にある、整形外科の待ち合いの長椅子にいた。今では7〜8年になるか、腰の脊柱管狭窄症で手術をし、神経を圧迫していた4箇所の骨を削った。手術は成功だったと思う。中村医師には感謝。なにせ以来何とか生活ができ、仕事もやってこれたのだ。途中、ひどい腰痛に何度も襲われたが、良い医者に恵まれ、痛み止めの注射と薬によって乗り越えてこれた。そしてこの間、生活を支えてきたのは、タクシーという仕事だった。もちろんこの間も、作家でありたい、という気持ちは忘れたことはなく、それなりの思索は続けてきた。そのつもりである。だが、この人生の終結期にきて、自分の体力がかなり落ちていることに愕然とする。まず、自分に課してきたウォーキングが苦痛になっている。今はまだ週に一度は、およそ1時間は歩くが、その足や腰の疲労は翌日までかなり残っている。こんなことは去年まで気になることはなかった。

思えば、65才を過ぎてから、1年、1年、体力は低下していたのを感じていた。特に、足の、下半身の衰え。これは、何よりタクシーという仕事の影響。仕事では下半身にほとんど重力はかからず、仕事を終えてもベッドに体を横たえ、できるだけ眠ろうとする。筋肉はどんどん衰えるばかり。

4月下旬から、立山や白木峰の山行を計画してきたが、とてもじゃないが諦めざるを得ない状態だ。

 

そして同時に、タクシーとい仕事は思考力をも奪っていく、と思う。神経を集中し、本を読もうとしても長く続かない。思考しようとする神経が疲れきっている、休ませてくれと拒絶してくる。さらに、ちゃんと記憶の床に定着されていないから、記憶がまともになっていない。徒労。その連続、あがき。そうした結果、買ってもほんの数ページしか読んでいない本の山。日経や朝日新聞の膨大な切り抜き記事の散乱。

70才を目の前に、体力の衰えと中身の無りょうさに愕然としている。

 

こんなはずではなかった。

何とか、しようと考えている。