恭子が逝った

彼女は3日と開けず、facebookに仕事や食べ物や行動などを書いていた。1週間経っても投稿がないことに、おかしい?と感じて、高岡の彼女の家を訪ねたのが、5月27日の土曜日だった。

もう何年も会っていなかったのに、あれは虫の知らせというものだったか。恭子は玄関先で鉢植えの土をいじっていた。最初、彼女がわからなかった。確かその家だったと記憶していた家の前にいる人物が彼女だとはわからなかった。日焼けした老爺のように見えたのだ。

それほど老いて見えた。後でわかったことだが、がんの肝臓への転移からくる黄だん症状だったのだ。尋ねてきたのが俺だと分かって彼女は、「ああ、やっぱり勘がいいのね」と笑っていったが、声に力はなかった。そして「今日病院へ行ってきたの。もうがんの治療のための薬や処方は止めにしたの。」と、言葉を続けた。医師は「今の薬は副作用が強い上に、もう効果が期待できない。」と。そして、「いつ入院してもいい」と。

それは、もうがんが手の施し様がないことを言っているのだったが、その時の僕には彼女の言葉の意味がよくわからなかった。
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