原発、大きな余震が続く中で

 昨日、3月20日午後6時9分頃、宮城県などで最大震度5強、M6.9の地震が発生した。津波による大きな被害は報告されていないが、先月2月21日夜にも福島、宮城両県でこれも最大震度6強を観測した地震が起きている。気象庁によると、この地域で震度1以上の有感地震はすでに1万5,000回に及んでおり、M7以上の余震は震災以後5回以上とも12回近くとも数えられる。宮城県福島県の人々の不安や心配は尋常ではないと思う。

 そしてこれについて心配なのは、廃炉計画が進んでいない福島第一原発に度重なる大きな地震の影響がなかったのだろうか、ということ。メルトダウンを起こした1号機や3号機には強い放射能を持つ大量のデブリがあり、また敷地内には、低レベルとはいえ放射能を含んだ汚染水を溜め込むお巨大なタンクが1,000基余りもあり、かなり古くなったタンクもある。東電が自ら報告していることだが、2月13日の震度6弱地震でタンク53基に最大19cmのズレがあったことを明らかにした。廃炉計画が進まない中で、大きな余震で放射能汚染水が外部に漏れ出ないとも限らないのである。

 大震災後10年を経て、各地で再稼働への動きが顕わになっている。

 しかし、私は思う。廃炉がスムーズに進まず、トイレのないマンションといわれ続けて、今なお生み出され続ける放射能のゴミの処分方法が定まらない今日、原発は今は進めるべきではない。北海道知事がちょっと前に話されたように、原発は今やつなぎのエネルギー技術で、他の技術の開発に席を譲るべきではないか。


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肺炎も患ってた

(Ⅰ)まちなか病院の島倉Dr.の紹介状をもって、今日私は、朝9時再び県中呼吸器外科を受診した。紹介状とともに3月2日まちなか病院で撮ったCT画像のデータ(cd-rom)も持参した。何だか憂鬱な気分だった。

私はこの呼吸器外科の宮澤秀樹医師とはどうも相性が悪い。彼の意図がどうもはっきり掴めない。最初に診察を受けたのは2015年の6(?)月、その時も手術しましょう、だった。その年は白内障の手術を優先させたため、翌年再び、県中呼吸器外科でCTを撮り、手術しましょうとなったが、なぜか緊急に手術する必要性を感じられなくて、延期していいですか?と医師に問い、了解してもらい延期した。その次の年、5月に手術を決めたが、70才になる直前だった。つまり、医療費の負担額が3割から2割に下がる直前だった。当時から金に不自由していた私は、今どうしてもしなければならない状態ではないと思われた。それから1年以上、私は手術は急がなくてもいい、という思いできた。

そこに今年初めの豪雪、激しい息切れ、レントゲンやCTによる異常、影。島倉Dr.がガンの進行を疑ったのだろう。私に再び県中呼吸器外科への紹介状を書いてくれたのだろう。

(Ⅱ)しかし、県中の宮澤Dr.は持参したまちなか病院で撮影したCT画像と2年前に県中で撮影したCTと見比べながら、「肺炎を起こしてるね。肺炎を治療したあとでないと、手術できないね。まず肺炎を治療すること、画像を見る限り、少し濃くなってる感じだが、そんなに変化はない。手術はすぐじゃなくていい。」私は少しあっけにとられた。そして聞きたいことがあったので聞いた。「今私は、息切れがきついので、新庄内科クリニックで治療を受けていて、肺気腫という診断を受けています。肺気腫の症状を持っていても、ガンの手術はできるのですか?」と。

宮澤Dr.はすかさず言った。「肺気腫の状態であっても手術はできます。まず、肺炎を治さないと、手術はできません」と。

 

確かに、この1月にまちなか病院で撮ったCT画像を持って市民病院内科の家城医師を訪ねた時、医師は「肺炎を起こしています。治療をしてください」と言われた。その通りなのだ。私はまちなか病院の島倉Dr.がその後肺炎の治療のための薬とか対処をしてくれることを期待した。だが何も変わらなかった。次に彼が私に言ったことは、新たにCTを撮り、県中の呼吸器外科を受診させることだった。

この後、私は、新庄内科クリニックにも相談し、肺炎の治療を優先する。
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再び、肺がん検査

'21.3.2(teu) 10:30am

まちなか病院(前 逓信病院)で再びCTを撮った島倉Dr.が私の肺がんにこだわっているようなのだ。今日撮った画像を見て、Dr.はポツリと呟いた。「やっぱり影が・・・」と。そして、「もう一度県中(県立中央病院)の呼吸器外科に紹介状を書くから行きませんか」と。私は、3月11日(木)に、3度目か4度目の県中呼吸器外科を受診することになった。私は、やっぱり、手術することになるのか。

喘息もあった

新庄内科クリニックで新たに出された「吸入剤スピオルド」は、前から使っていた「スピリーバ」より確かに効くようだ。で、スピオルドが切れた昨日、新庄内科クリニックを受診し、月に2本出してもらえないか申し出た。が、それは難しい、とのことであった。

 

そして、その解決案として、丸山宗治Dr.は、呼気No検査を求め、その結果、No濃度35ppbと、それはほぼ喘息と診断される値であった。そして、新たに「ブデホル吸入粉末剤」1日2回使用と「スピリーバ」の共用が、私の新しい治療薬となった。

 

昨日から使い始めているが、ブデホルは口の中に残り、後味悪くやっかいだ。上手に付き合う他ない。気が滅入る日が続いている。


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コロナで会社がつぶれる

元気が出ない。睡眠不足もあるが、やっぱり肺気腫が原因だろう。疲れやすい、すぐに息が切れる。

3月末で私がバイトで働いてきた地鉄タクシーという会社が営業を終了する。コロナで業績が落ち込んだためだが、それだけではない。会社が日常的に活力を失くしてきていた。経営陣に時代を生き抜く気構えを全く感じなくなっていた。タクシー会社もタクシー運転手もデジタル時代への対応が求められているのに、である。かくて私はアルバイトの仕事を3月末でうしなうこととなる。

以後、私は年金外の不足分を別の仕事で稼がなければいけなくなえう。どうしよう。配送業や清掃業などを考えているが、この肺気腫を抱えて、仕事ができるだろうか。悩ましい。トライしてみるしかないのだが、、、。

肺気腫と診断される

今季の冬の寒さと豪雪が一気にPOCDを進行させたのかもしれない。昨日3日、以前から行こう行こうと思っていた呼吸器内科を専門とする新庄内科クリニックの診察を受けた。肺のレントゲン撮影の後、「肺気腫ですね。」と丸山宗治医師はサラッと言った。

 

昨年12月に少しの駆け足で息切れがした、我ながら驚いた。1月5日から始まった富山市の豪雪の時には除雪で一気に息が切れ、ベットに倒れ込んだ。その時はすでに肺気腫が悪化していたようだ。1月8日、まちなか病院内科医の島倉Dr.は、昨年末に撮っていたCT画像を見て、新型コロナ感染と肺炎を疑い、冨山市民病院でPCR検査と内科医の家城Dr.の見立てを求めたのだった。PCR検査は陰性だったが、家城Dr.は「肺炎を罹患していますね。その治療を続けてください。」という診断だった。その時私は、かつて東京時代に肺炎と診断され、高熱とひどい痰に苦しんだ時のことを思い出していた。だが、POCDが進行している、肺気腫にまで思いはいかなかった。だが、今、私は肺気腫を患っている。毎日、息切れの度合いが激しい。

 

肺気腫という告知は、ショックだった。この日私は、これまでまちなか病院で処方されていたスピリーバより、肺の気道により強く作用するスピオルトという気管支拡張吸入剤を手渡された。
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